札幌高等裁判所 昭和56年(ネ)105号 判決 1982年12月07日
控訴人(原告)
宮城島達哉
ほか一名
被控訴人(被告)
菊地満
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
一 控訴人らは、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人らに対し、それぞれ金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年一〇月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴人らは、主文同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の主張と証拠の関係は、証拠として、控訴人らが、甲第四ないし七号証を提出し、当審証人中村正尚、同須藤欣治の各証言を援用し、被控訴人が、「甲第四、五号証、第七号証の成立は知らないが、同第六号証の成立は認める。」と述べたほかは、原判決事実摘示と同一であるのでこれを引用する(但し、原判決四枚目裏四行目の「薄木規夫」を「薄木紀雄」と改める。)。
理由
一 控訴人らの子で、北海道薬科大学一年生であつた亡英之(昭和三四年八月五日生)が、昭和五四年五月二日午後八時ころ同じ大学の学生で、ともに小樽市桂岡町二九番地のサンフラワーに下宿していた被控訴人(昭和三四年四月一〇日生)、亡渡辺(昭和三五年一月一日生)及び亡林(昭和三四年七月一八日生)と一緒に、札幌市のトヨタレンタリース株式会社から借り受けた本件車両で、被控訴人の運転により、右下宿先から函館方面へのドライブ旅行に出発し、倶知安を経て、深夜函館市南西部の函館山に到着したが、翌三日午前五時四〇分ころ帰途である虻田郡虻田町字清水一一番地先の国道三七号線を長万部を経て室蘭方面に向け東進中、当時亡英之と被控訴人のいずれが本件車両を運転していたか(亡渡辺または亡林が運転していなかつたことは明らかである。)の点はおくとして、その運転者が、スピードを出し過ぎていたうえ、ブレーキ及びハンドル操作を誤つたため、本件車両が、右国道の国鉄室蘭本線陸橋手前の右に曲る緩い下り坂のカーブ(車道の幅員約九メートル、下り坂勾配約一・五パーセント、車道中央線の曲率半径約二〇〇メートル)で蛇行してスピンを起し、左側歩道(歩道の幅員約二・二メートル)に乗り上げたうえ、その歩道上の内側(車道側)ガードレールと外側(車道と反対側)ガードフエンスの各支柱(前者の支柱の高さ〇・四七メートル、後者の支柱の高さ約〇・七メートル、両支柱間の距離約一・八五メートル)に衝突し、さらにそのガードレールとガードフエンス上を二六、七メートルにわたつて横転ないし縦転し、その結果、車外に放り出された亡英之は即時に頭頂部陥没骨折挫傷(致命傷以外の傷害として、左側頭部頭皮剥離、左第二、第三胸骨骨折、右肘頭部脱臼及び骨折並びに肘頭部裂傷、腰部・両膝蓋部各擦過傷)により、同じく亡渡辺は同日午前六時四五分ころ右側頭部頭蓋骨骨折による脳幹損傷(致命傷以外の傷害として、左上腕部・左手甲部各擦過傷、右腰部裂傷、右膝蓋部内出血、右足背部刺創)により、同じく亡林は同日午前一一時一八分ころ頭頂部・後頭部各頭蓋骨骨折による脳幹損傷(致命傷以外の傷害として、左肩甲上部・左上腕部・左肘部・左膝蓋部各擦過傷、右第一、第二胸骨骨折、両手甲部・左大腿部各内出血、右膝蓋部打撲創、左足脛側顆部刺創)によりいずれも死亡し、車内に残つた被控訴人は左肩打撲傷、右手・左足首各切創の傷害(入院治療を要しない程度の軽傷)を負うという本件事故が発生したことは、成立に争いのない甲第一、二号証、乙第三号証、控訴人ら主張の写真であることに争いのない甲第三号証の一ないし二二、当審証人須藤欣治の証言により成立の真正を認める同第四、五号証、原審証人阿部宗之進、当審証人中村正尚の各証言、原審における被控訴人本人尋問の結果及び原審における検証の結果により明らか(右のうち、原判決事実摘示の請求原因1と合致する部分については当事者間に争いがない。)である。
二 そこで被控訴人が本件事故当時本件車両を運転していたかについて判断する。
1 前記甲第一、二号証、第三号証の一ないし二二、第四、五号証、原審証人阿部宗之進、同仲重雄、当審証人中村正尚、同須藤欣治の各証言を総合すると、本件車両は、前記の右に曲る緩い下り坂のカーブを、一旦左側歩道縁石に近付きこれに接する寸前で右に切り抜ける長さ約五六メートルの左側車輪による二条のダイヤ痕を残して走行し、次いで右に向き過ぎた車首を立て直すためハンドルを左に切つたためとみられるが、一旦車道中心線の右にはみ出してから左に戻る長さ約二一・八メートルの右側車輪による二条のタイヤ痕を残して走行し、さらに左に向き過ぎた車首を立て直すためハンドルを右に切つたためとみられるが、コントロールを失つて右回転方向のスピンを起し、前記歩道上のガードレールとガードフエンスの各支柱の手前一メートル余の地点に達する長さ約二〇メートルの左側車輪による二条のタイヤ痕(そのうち前車輪によるものは車道上を横に移動し、後車輪によるものは車道から歩道に乗り上げ、その歩道上を横に移動するもの。)を残してスリツプしたのち、左側を下にして横転しつつ空中にはね上げられた状態で、左側前部ドアのドアハンドル上部付近が前記ガードレール支柱先端に、また左側後部フエンダー上部付近が前記ガードフエンス支柱先端にそれぞれ衝突し、さらに前記のとおりそのガードレールとガードフエンス上を二六、七メートルにわたつて横転ないし縦転したものと推定することができ(なお、本件車両の右側後部ドアの前方取付部付近に外側から内側方向への強い衝撃が加わつたことを示す凹損があり、このことから、その凹損箇所が前記各支柱のいずれかに衝突したのではないかとの疑いを生ずるが、しかしそのいずれに衝突したと仮定した場合にも、本件車両の破損状況及び前記タイヤ痕の点を含む本件事故現場の状況と合致しないので、その可能性は否定され、従つて右の凹損は、本件車両が前記ガードレールとガードフエンス上を横転ないし縦転した際に生じたものと推認される。)、この推定を覆えすに足る証拠はない。
しかして前記各証拠によると、右の衝突時における本件車両には、その衝突部位に存する打突痕と剥離痕及びその時の本件車両の挙動からみて、上から下の方向(車体を基準)への衝撃のほか、本件車両が横転しつつあつたため、同時に外側(同右)に引つ張る力がそれぞれ衝突部位に加わつた(衝突部位である左側前部ドアのドアハンドル上部付近に、上から下の方向に衝撃が加わつたことを示す打突痕と、これを中心として左側前、後部ドアやセンターピラーが外側に引つ張られたことを示す剥離痕が存在し、同じく衝突部位である左側後部フエンダー上部付近及びその周辺にも、右と同様の衝撃等が加わつたことを示す打突痕と剥離痕が存在することが認められる。)ものと推認され、このことからみれば、本件車両の左側助手席とその後部座席に乗つていた者がその衝突時に重篤な傷害を受けたものとは直ちに断定し難いうえ、本件車両の右側には、右の衝突後の横転ないし縦転の際に生じたとみられる外側から内側へのかなり強い衝撃が加わつたことを示す凹損があること、本件車両に乗つていた被控訴人を除く他の三名は、いずれも右衝突後の横転ないし縦転の間に車外に放り出され、頭部に致命傷を負つて死亡したことはいずれも前記のとおりであり、これらの本件事故の態様に照らして考えると、本件車両の右側運転席に乗つていた者が他の座席に乗つていた者に比べて死亡または重篤な傷害を免れる蓋然性が高かつたとは一概にいえないから、車内に残つた被控訴人のみが軽傷を負つただけで死亡を免れたからといつて、被控訴人が本件事故当時本件車両を運転していたものと推認することはできない。
2 また原審証人阿部宗之進、同薄木紀雄、同仲重雄の各証言及び原審における被控訴人本人尋問の結果によると、本件車両に乗つていた四名のうち、運転免許を受けていたのは被控訴人のみであり、警察官による本件事故の捜査において本件車両のハンドル(スポーク部裏側)から被控訴人の指紋(三個)が検出されたことが認められるが、他面右の各証拠及び原審における控訴人宮城島達哉本人尋問の結果によると、亡英之は仮免許を受けていて、未熟とはいえ、自動車運転の知識と経験を有しており、かつ右のハンドル(右と同じ場所)からは同人の指紋(一個)も検出されたことが認められ、また本件車両に乗つていた四名は、前記のとおり同じ下宿に住む大学の学生で、ドライブ旅行に参加した仲間同志であるところ、そのドライブ旅行の全行程を前夜以来被控訴人のみが運転するとなればかなりの負担となることから、早朝の比較的交通量の少ない時間帯に右のような或る程度自動車運転の知識と経験を有する者が運転を交代することを他の者が容認することもあり得ないことではないと考えられるので、右の運転免許の取得や指紋の検出の事実は、被控訴人が本件事故当時本件車両を運転していたことを認定する決め手とはなり得ない。
3 ところで前記甲第一号証、当審証人中村正尚の証言及び原審における被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は、本件事故直後に本件車両の運転席で意識を失つていたことが認められるところ、その具体的状況につき、右証人は、本件車両の後方を自動車で走行中に本件事故を目撃し、直ちに停車してその事故現場を見廻つた際、被控訴人が本件車両の運転席でやや斜めを向き両足を床に着けた状態で気絶していたと供述するのに対し、被控訴人は、本件事故直後暫らく気絶していたが、気付いたとき、本件車両の運転席で足を右側窓から外に出した状態で右横向きに座つていたと供述し、両者の供述の間に齟齬がみられるが、前記甲第一号証、乙第三号証、原審証人阿部宗之進、同仲重雄、当審証人中村正尚の各証言及び原審における被控訴人本人尋問の結果によると、当審証人の中村正尚は、本件事故後まもないころ警察官から本件事故当時の本件車両の運転者の容姿、服装等を聞かれた際には、黒つぽいものを着た体格の大きい人であるとして、被控訴人よりはむしろ亡英之に合致する特徴(右の各証拠によると、本件事故当時被控訴人は、ワイシヤツの上に明灰色のセーターを着用し、体重は不明だが、身長は一六九センチメートルであつたのに対し、亡英之は、黒色皮ジヤンパーを着用し、体重は八五キログラムで身長は一七三センチメートルであつたことが認められる。)を述べていたのに、当審における証言では、本件事故とその事故現場の前記目撃状況等から、当時本件車両の運転者は被控訴人であると考えていたと供述し(なお、右の警察官による事情聴取の際には、本件事故やその事故現場の前記目撃状況等については、尋ねられなかつたので述べなかつたと供述する。)、その供述に一貫しない点がみられるので、被控訴人が前記運転席で気絶していた際の具体的状況が右証人の供述するとおりであつたとは直ちに認定し難く、また第一項及び本項1で認定した本件事故の態様に照らすと、被控訴人が本件事故の衝撃の際に、とくに車体の横転または縦転の間に、他の座席から運転席に移動したことが十分考えられるから、被控訴人が本件事故直後に前記運転席で気絶していたことによつて、被控訴人が本件事故当時本件車両を運転していたと推定することもできない。のみならず前記甲第一号証、乙第三号証、原審証人阿部宗之進、同仲重雄の各証言及び原審における被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は、本件事故当日の午前六時二〇分ころからはじめられた警察官による本件事故現場の実況見分に立会つたが、その際警察官の尋問に対し、本件事故当時本件車両を運転していたのは亡英之であると述べ、また本件事故直後の被控訴人の状況については前記供述と同旨の説明をしたこと、これに対し警察官は、亡渡辺と亡林が本件事故直後に生存していて救急車で病院に運ばれたことから、右両名が生存していて嘘を述べてもいずれ発覚する旨を指摘してさらに追求したが、被控訴人の供述は変らなかつた(被控訴人は、本件事故直後に意識を回復した際に、本件車両に乗つていた他の三名が路上に倒れていた状況は見ていたが、同人らがいずれも致命傷を受けたことは外観からは分らなかつたと認められるから、当時亡渡辺と亡林がいずれも死亡するとまでは予測していなかつたとみられる。)こと、その後も警察官は、被控訴人が、本件車両に乗つていた四名のうち、唯一の生存者で、かつ運転免許取得者でもあつたことから、本件事故当時被控訴人が本件車両を運転していた可能性もあるとの疑いのもとに、被控訴人から本件事故前後の事情につき供述を求め、その供述の真偽をみるためのポリグラフ検査をも行つたが、被控訴人は、前記ドライブ旅行の帰途、長万部のドライブインで亡英之に運転を代つて貰つてから本件事故現場までは、同人が本件車両を運転し、その間被控訴人は本件車両の左側後部座席に乗つていたという趣旨を一貫して供述し(原審においても同旨の供述をする。)、その供述態度や右のポリグラフ検査の結果において嘘の供述をしているとの徴憑はみられなかつたことがそれぞれ認められ、これらの点からして、被控訴人の前記運転席で気絶していた状況の点を含む本件事故に関する供述に虚偽部分があると認めることも困難である。
4 以上によると、被控訴人が本件事故当時本件車両を運転していたかについては、前示1ないし3のいずれの観点からするもこれを肯定することは困難であり、ほかにもその事実を認めるに足る証拠はない。
三 よつて控訴人らの本訴請求は、被控訴人が本件事故当時本件車両を運転していたことにつき立証がないので、その余の点を判断するまでもなく理由がなく、これを棄却した原判決は相当であるから、民事訴訟法三八四条に従い本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき同法八九条、九三条、九五条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 奈良次郎 渋川満 藤井一男)